昨年の3月11日に起きた東日本大震災から
一年がたちました
本当にあっという間の一年だったというか
むしろ時が止まっていたのではないかと思えてしまうほどです
なぜそう感じるのかというと きっと色々な問題が
震災で浮き彫りになってから 一年が経った今でも
問題がほとんど片付かず 進展しないから
時が止まっているように感じるのだろうというのが
率直な感想です
問題といっても今回の震災では
地震や津波の被害と
原発の問題は別の問題としてとらえなくていけないと思っています
私は震災の後 すべての価値観や物の見え方が変わってしまった
という風に 一般的にもそして美術の世界でもいわれていることに
とても違和感があって
なぜなら
原子爆弾の恐ろしさを身を持って体験した日本に これだけの数の
原発があること自体が 人は本当に大変なことが起ころうが
価値観が180度変わることはないということを
証明しているとしか思えないからです
ただ 物の見え方が変わりました
表に出ている情報を鵜呑みにしていると本当に危険で
何となく日本は安全な国だと言う思い込みや
いざとなったらだれかが助けてくれるのではないか なんて
私自身思っていた所があったのですが それは間違いで
バカではいけないのだと言うこと それは命取りなことで
知識はやはり自分自身を 助けるし知識がなければ
怪しいと疑うことすらできないのだということを知りました
震災後疑心暗鬼になりすぎて 何に対しても怖いと思っていまい
少し不安定な気持ちになった時期もありましたが
それでもこれからは 疑い
知ろうとすることで乗り越えて行くしかないと思っています
被災地支援がとても遅れていることに関して憤りを感じていますが
普通に地震や津波にあった人の支援活動やそれに関する署名などに対しては
とても積極的になれるのですが
原発周辺の地域に住んでいた人たちに対しての支援活動や
移住に対して国にお金を出してもらうよう求める署名などは
正直な所どう対応していいのかと 戸惑う所があって
原発周辺の地域の人たちは 今まで
原発があることで逆にさまざまな立派な施設がつかえたり
優遇されて恩恵を享受してきたということがあるので
(たとえそれが目くらましであったとしても)
残酷なのかもしれませんが 騙す東電もひどいが
騙された地域の人々も自業自得の部分もあるとどうしても思っていますのです
もちろんその原発で作っていた電力は東北の人たちが使っていたわけではなく
私の住む東京の電力をまかなってきたわけで 私にも罪はあります
なんだか上から目線のような書き方になってしまいますが
これは自分自身に対して書いているようなものです
本当に勉強しなくてはと思っています
被災されなくなられた方 ご家族をなくされた方々に
心よりご冥福をお祈りいたします
私自身の活動のことですが
3/14〜4/2まで日本橋高島屋でのグループ展に参加しています
個展で発表した作品3点と新作4点を展示しています
詳しい情報はNEWSをご覧下さい
震災後にどう作品をつくっていくのかとても迷っています
震災ご半年くらいまでは どんな天災が起きようとも
変わらず生活をしている人がいるというのも事実で
それはアメリカの国民のうちの99%が大変な思いをしていても
わずか1%の人間はそんなことはおかまいなしに過ごしているということと
私の中では同じことで どんなに絆だとか
思いやりだとか言っていても そういう人たちがいるということは
事実でしかなく 私は直接被害を受けている人たちのことや
起きている問題を描くのではなく
むしろそのわずかな数%の変わらない我関せずな人々を描くことで
何か見えてこないかと思っていましたが
あまりにも伝わらなさすぎるし(考えていることが違うのではなく
もっと伝割る表現にすればいいのかもしれませんが)
なにかもっと反応を見える形で表した方が いいのではないかと
1年がたったいまは思えていて どうしたらいいものかと考えています
ただ教会の室内装飾が 人々を非現実に誘い
心の救済の役に立ったのなら 私もそういう形で 何か提示できないかとも
思っています まだまだ全然良くわかりません
先月27歳になりました
良い一年にしたいと思います
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武岡 (月曜日, 19 3月 2012 00:00)
とてもよい文章だと思います。何よりも、真摯に悩む姿勢に共感しました。
大久保如彌 (日曜日, 25 3月 2012 14:25)
武岡さん:ありがとうございます。ひっそりと書いているので読んでもらえて嬉しいです(笑) そしてつたない文章ではありますが 褒めてもらえてとてもとても嬉しいです 本当に色々なことがわからなさすぎて 入ってくる情報についいらいらしてしまうのですが 「東大で上野千鶴子に〜」の中の わからないことはわからないまま受け止めればいいと言う言葉はなんだかとても勇気がわきました